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昭和18年

(平成6年 日大二高吹奏楽部OB・OG会 発行「想い出集」より)

昭和十九年度卒 H.T. 吹奏楽部の思い出

(前略)

二、悲しい思い出

いよいよ戦争も激しくなり、日本が負け戦になってきた昭和十八年。学生も戦場に行くことになり学徒出陣の命令がでて、大学生の代々木陸上競技場での壮行会があった時、東京の全中学校のブラスバンドに参加要請があり、当然日大二中の我々も参加しました。出征する学生が銃を担い学生帽をかぶり大雨の降りしきる中、分列行進曲の演奏にのって行進が続きました。私たちは、これから戦場に行く大学生に代々木の森に響けとばかり、力の限り精一杯の分列行進曲の演奏で送り出しました。私はドラムだったのでドシャ降りの雨でドラムの皮を張ったり、緩めたりしながら演奏した記憶があります。その大学生たちがその後、神風特攻隊や南島の戦場で多くの学生が戦死したのです。我がブラスバンドの先輩上野さん、青木さんも戦死されました。

三、苦しい思い出

私たち中学生も昭和十八年秋頃、勤労動員で各工場に配属され、学業を棄て工場で油だらけになり、日夜労働にいそしみました。そろそろ米軍の飛行機も飛来し始めた頃、ブラスバンドの事もすっかり忘れかけていたその時、学校から生徒の動員先の工場へ慰問演奏にいくようにとのことで、私たちは忘れかけた楽器を持参し、無我夢中でマーチを数曲演奏しました。全然練習もできないし、楽器も久しぶりに手にしての演奏でどんな音楽になっていたか今思えば恥ずかしい気がいたします。しかし工場の従業員の人たちからも生徒からも大きな拍手をいただいた記憶があります。その後空襲が激しくなり、ブラスバンドとは永遠に別れることとなり、楽器も二度と手にしなくなったのです。現在は、カール・タイケ作曲「旧友」のレコードを聞きながら、当時を偲び思い出しております。

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